980426
隠すことより知らせること
中学生の刃物による事件が相次ぐ中、ナイフに関する記事を特集した雑誌の販売を自粛するコンビニエンスストアのことが報道されていました。
図書館は知る権利を保障すると言いましたが、こうした場合はどう考えるべきなのでしょうか。
図書館に対してよくある苦情に、「どうして図書館にヌード雑誌があるのか」とか「図書館ともあろうものがこんなくだらない本を置いていて良いのか」と
いうものがあるのだそうです。一見まともな苦情のように思えますが、よく考えてみるとどこかおかしいような気がしませんか。
「くだらない」とは何をさして言うのでしょうか、また、くだらないと感じているのは誰でしょうか。
よくよく考えてみると、くだらないと感じているのは自分自身であり、自分の好悪(価値判断)を図書館(他者)に押しつけていることになっているので
す。
利用者の資料要求は様々です。ある人にとっては無用な情報でも、ある人にとっては大変有益な情報だということがずいぶんあります。
したがって資料の価値を決めるのは利用者個々のはずです。厳密に言えば図書館の資料自体に善い悪いという価値はなく、資料という点ではどれも
同じと言っていいでしょう。もちろん、利用頻度、希少価値などという違いはあるのでしょうが。
にもかかわらず、私たちは自分の価値基準をつい他人にもおしつけてしまいがちです。しかし図書館が外部のこれに屈してしまっては、私たち個々の
知る権利を保障することはできなくなります。これでは図書館は死んだも同然です。
知る権利が保障されないということは、一部の価値基準だけに支配されてしまうという事です。 一部の価値基準だけに支配されたときの恐ろしさは私
たちは過去の歴史から十分に学んでいるはずです。
もちろん図書館自体は蔵書に関する独自の基準を持つ必要があります。しかし、それも地域性や様々な条件から、一律に決めることはできないもの
です。また、要求された資料に関しては、基本的にはすべて提供する必要があるでしょう。
以前、松本市立図書館でサリン事件に関係して、『緑の入れ墨』という本の貸し出しを制限するという出来事があり問題になりました。しかし、松本市立
図書館ではこのことを教訓にして、職員で話し合いを重ねたり、利用者と懇談会を開いたりして、いっそう図書館の機能充実に役立ててきました。
このように個々の図書館ごとに、その利用者と資料を大切にする姿勢が大切といえるでしょう。
さて、冒頭に書いたナイフのことですが、ナイフを隠すことが、刃物を使った犯罪を防ぐことにつながるのでしょうか。人は正しい情報を得て、自分で考
えたときにのみ、自分の行動を律していくことができるのではないでしょうか。まず、刃物の道具としての重要性、その特性などを熟知させ、その利用法
を学ばせることの方が重要なのではないでしょうか。
刃物は怖いと言うよりも、鉛筆を削れるように、草刈り鎌を研げるようにしてあげることこそ、今大切なことなのではないでしょうか。
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