前回紹介した菅野小学校の、学校司書Sさんは、、子どもたちからは『Sちゃん』と呼ばれていました。また、先生方に
対してもあえて「『S先生』とは呼ばないでほしい」と言っていました。 つまり、意識的に教諭とは一線を画していたのです。そして「私たちは先生ではない」と言明していました。
だからといって学校司書が教諭の下にいる、と卑下しているわけではありません。資料提供のプロとして、教諭と協力
して授業やその他の教育活動を作りだしているという自負が感じられました。 今日的な意味での図書館をリードしてきた前川恒雄さんの「図書館について」(出版ニュース社・一九九九)という本の
中に、『図書館の職員が「先生」になってはいかんと思います。(略)もし利用者から「先生」と言われたら、もうこれでお しまいだと思ったほうがいい。』とあります。司書とは利用者にサービスすること自体が仕事なのだ、その事に喜びを見 出し、その事のプロとしての自覚を持て、ということでしょう。 これは公共図書館のことではありますが、学校図書館についても同じ事がいえると思います。最近話題になっている
司書教諭というものと学校司書は似て非なるものだと思います。このことについてはいずれどこかで語らなければなら ないと思っています。 もともと学校司書というのは何ら法的な根拠を持たないものです。それを、すこしでも子どもたちの教育環境を向上さ
せたいと、保護者や市民、自治体の努力で配置が進んできたものです。したがって、身分も、正式な職名もさまざまで す。そして、仕事の内容も明確ではありませんでした。 こうした不安定な状況の中で、学校司書自身が努力と勉強をかさねて、学校図書館にいる自分たちはいったい何な
のかということを探ってきたのです。 学校司書の努力は学校図書館を子どもたちや先生に結び付けることだけでなく、学校図書館とは何かを考えること、
そして学校司書自身のアイデンティティ探しでもあったのです。
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