第49回長野県図書館大会が盛大に行われました。公共図書館に関する部会では、図書館建設に住民の声を反映 させることの重要性など、これから図書館を作っていこうという地域にとっては参考になる話し合いがなされました。木 曽にとっては意義のある話し合いだったと思います。残念だったのは木曽では一つの自治体しか参加していなかったと いうことですが。せっかく木曽での大会だったのですが・・・。 もう一つ残念だったのは、話し合いの時間があまりに短かったことです。参加者からも「せっかく遠くから来てもこれで
は十分な話し合いができない。」と」残念がる声が聞こえてきました。 実は私はこの大会でぜひ発言してくれという宿題を仰せつかっていたのですが、時間切れでとうとう言うことができま
せんでした。それが、タイトルにある地域の出版物を大切にしてほしいということなのです。 先日、木曽郡内の短歌や俳句を愛好している方々の会に参加させていただく機会がありました。木曽郡内から多くの
短歌・俳句の愛好者が集まり、現状やその振興についての話し合いがなされました。 不勉強な私は今まで何も知らなかったのですが、木曽郡内には多くの短歌・俳句の愛好者がいらっしゃるとのことで、
その歴史も長く、評価も高いようです。 呼びかけ人の楯英雄先生は、新聞紙上に掲載された木曽の短歌・俳句を収集しておられ、これらがそのまま散逸し
てしまうのは惜しいと言っておられました。しかし、私は歌集として世に問われたものすら、地域に残っていないことを悲 しく思います。 私は地域の方の個人歌集・句集が好きで探してきては読んでいるのですが、こうした本はほとんどが自費出版で、書
店に行っても手に入りません。また、公民館図書室に行ってもほとんどないのです。 話し合いの中で、公民館に寄贈したのだが、管理がきちんとされておらずなくなってしまったようだ、という声も聞かれ
ました。人手不足、財源不足の公民館図書室の現状では、仕方のないことだとは思うのですがやはり残念なことです。 こうした意味でもきちんとした図書館の設置が望まれます。 個人の歌集や句集にはその作者の人生が凝縮されています。プロの歌人や俳人ではない方々の歌集・句集には、
市井に生きる庶民の生きざまがつづられ、文芸作品としてのみではなく、民俗資料としても貴重なものといえるのでは ないでしょうか。 特に、木曽の地に生まれ、生きた歌集・句集は木曽の文化財と言っていいのではないでしょうか。これらの作品を読
むとき、木曽に生きることの意味の深さを感ぜずにはいられません。 各地域の公民館図書室の担当者の方は意識して、こうした地域から生まれた歌集・句集などの作品、また研究書な
どを収集し利用に供してほしいものだと思います。なお、自費出版というのは思っている以上にお金のかかるもので す。出来れば寄贈に頼るのではなく、購入をお願いしたいと思います。 こうした活動がひいては木曽の文化の向上につながっていくのではないかと思います。
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