木曽森林鉄道廃線跡

 木曽は、大正時代から昭和50年代にかけて、木材の搬出に森林鉄道が使われた経緯があり、
廃止されて20年近く経過した現在でも、各地にその痕跡を見いだすことができます。

 最近では、こういった廃線跡を専門に尋ね歩く「トワイライター」と呼ばれる鉄道マニアもいるとか…。
 私は鉄道マニアというわけではないのですが、もともと「遺跡」が好きなうえ、自分の身近に
廃線の痕跡があり、更に観光関係の部署に就いていたため、知らず知らずに詳しくなってしまったんです。

 ですから、私は決して『鉄チャン』(鉄道マニアの蔑称)ではありません。(笑)


昔、自宅の前に…
自宅前


 証拠写真です。(笑)
 1960年代の中頃、自宅前でセルフタイマーで撮った
 自分の写真です。

 背後に見えるのは森林鉄道のレールで出来た車両止めと運材車の ブレーキハンドルです。
 この車両止めは、私が3歳くらいの頃、暴走した機関車が自宅の目の前に転落した事故があって、そのために作られたものなのです。
これが、その事故の時の模様です。
当時私は物心が付くか付かない時期にもかかわらず、事故の時大きな音がして、恐怖に震えた記憶があります。

Accident
今も、自宅のそばに…。

  自宅のそばには、今でもこのように廃棄された トロッコが積み上げられています。

 マニアが見たら、泣いて喜ぶんだろうなぁ…。 (笑)
廃トロ
通勤路は廃線跡

 下の写真は、自宅のそばにある森林鉄道のオメガループのものです。
 左が1960年代、右が現在の様子です。
 実は、この廃線跡が私の通勤路なんです。(笑)
オメガループ1 オメガループ2

在りし日の上松町
 森林鉄道の起点として栄えた頃の上松町の中心部の風景です。(1960年代初期)
 中央に見えるのが当時の上松運輸営林署の貯木場で、積み込みに使われたガントリークレーンやオメガループ、手動の踏切、運輸営林署の機工課の建物なども写っています。
oldagematsu

木曽森林鉄道小川線・王滝線起点付近

旭町ヤード

上の写真にも写っている当時の小川線・王滝線の起点付近に残る橋の痕跡。
 数年前まで枕木も残されていましたが、撤去されてしまいこのような桁だけの姿になってしまいました。
 当時は左奥にヤードがありました。また、正面の建物は当時の上松運輸営林署の機工課の建物です。

鬼渕橋(おにぶちばし)
鬼渕橋

 右側の古い橋が、1913年(大正2年)に上松町を起点とする森林鉄道小川線・王滝線のために架けられた鬼渕橋です。
 当時の技術の粋を集め、国産技術で架けた橋としては当時最も長い橋だったそうです。
 なお、左側は最近架けられた町道の橋です。
 この橋ができたため、古い鬼渕橋は撤去される予定でしたが、当時の森林鉄道の様子を伝えるものとして、保存運動が起こり、保存されることとなりました。

銘板
橋の銘板
昔の鬼渕橋  現役当時の鬼渕橋。
 勇ましく煙を吐きながら運材列車を引いて 鬼渕橋を渡るアメリカ製のボールドウィン 蒸気機関車。(1950〜60年代頃)
 

 王滝線の廃線跡

廃トンネル
 三岳村常盤橋付近に残る王滝線の廃トンネル。
 このトンネルより上松側の廃線跡は、ほとんど
 2車線の林道になってしまった。
 上のトンネルから更に王滝寄りの場所に残る廃止された橋。

 比較的状態は良いが、いつまで残されているのだろうか…。
廃橋
枕木  廃線跡に積み上げられた枕木。
 このように、木曽森林鉄道の痕跡もやがて朽ち果て、忘れ去られていってしまうのだろう…。

 森林鉄道のレールを利用したガードレール

ガードレール
 廃止された直後はあちこちの林道などで見られたが、徐々に本物のガードレールに置き換わり、あまり見られなくなってしまいまった。
林道  今でも木曽谷の各地にはこのような森林鉄道の痕跡が残っていますが、近年はその敷地が林道や町村道に転用されるものが多く、徐々にこのような廃線跡も見られなくなってくるだろう…。

 (写真は、小川線の廃線跡に作られた林道)

木曽森復活

新機関車
 1987年より、上松町の赤沢自然休養林の中で、
木曽森林鉄道が復活運行しています。
 現在、客車を引っ張っているのは新たに建造した機関車ですが、森林鉄道資料館の中には、往年のボールドウィン蒸気機関車、酒井のDL、客車などが保存されています。

 写真は、新潟のメーカーで建造された新型車両。
 この車両の完成検査のため新潟まで出かけたのも、今となってはいい思い出です。
 少しでも酒井のDLの雰囲気に似せるため細かい注文を付け、メーカーを泣かせたものです。
(一部写真:森下定一氏)