木曽の伝説 | |
![]() たまたま木曽路の寝覚の床に来た太郎は、付近の美しい風景がすっかり気に入って、寝覚の里に住み、毎日寝覚の床に出かけて好きな釣りを楽しんでいました。 |
|
|
|
![]() 高倉の峠を越える頃には、道が次第に細くなり、夕闇も迫ってきて、とうとう道は途絶えてしまい、やっと谷川の淵の傍らにたどりつきました。 |
|
|
|
宗助幸助(水無神社とみこしまくりのいわれ) 昔、飛騨の国の一の宮水無(すいむ)神社の近くで戦乱が起こり、神社もまたその戦火に巻き込まれようとしていました。 ちょうどその時、この地へ木曽から杣仕事(そましごと:木を切る仕事)に来ていた宗助と幸助の二人の者が相談して、「こ ![]() 幸い神主も戦火を避けることに同意してくれたので、一行はみこしを担いでこっそりと木曽へ向かって出発しました。 いくつかの峠や谷川を渡り、ちょうど木曽と飛騨の国境の峠までさしかかったとき、追っ手が追い付いてきました。他領へ取り逃がしてはならじと、峠の頂きでみこしの奪い合いが始まりました。そして、もみ合いをしているうちに、みこしが地面に落ちころがってしまいました。 こうなってはみこしが壊れても仕方がない、このまま転がして逃げようと、「宗助」「幸助」「宗助」「幸助」と掛け声をかけ合いながら、峠を木曽側へ向かってみこしを転がし落して逃げ出しました。すると、追っ手もとうとうあきらめて、引き揚げていってしまいました。 こうしてみこしを持ち帰ると、故郷の伊谷(いや:木曽福島町伊谷)の地へ社殿を建てて、お祀りすることができました。 これが、木曽福島町の水無神社のいわれで、今でも夏祭りには、毎年新しくおみこしを作って、町中を転がして壊してしまうという「みこしまくり」が行われています。また、この時の事をしのんでみこしを転がすときは「宗助」「幸助」と勇ましく掛け声をかけるのだと伝えられています。 (写真は水無神社例祭でのみこしまくりの縦まくり) |
|
|
|
←MENUへ |