はらひろモード全開っ! 

※ここでは、はらひろの書いた雑文を掲載していきたいと思います。趣味、生活、仕事、etc…。とにかく、はらひろの視点で身の周りの色々な事について書いていきますので、まあ、お暇なら読んでみて下さい。
(でも、
はらひろモードとは…一体何?)

目 次
■生活
 ・木曽の印象…(ちょっとぼやき)
 ・木曽の買い物事情
 ・木曽にもコンビニが!
 ・消防団のこと
 ・田舎で救急車を呼ぶと…

■趣味
 ・パソコン通信とインターネットのこと
 ・そば打ち体験してきました (97/6/16)


■仕事
 ・ある日の出来事
 ・今日のお仕事「ヘリコプターからの空中撮影」(97/12/3)
 ・今日のお仕事「除雪作業」
 ・今日のお仕事「有害鳥獣駆除作業(ニホンザル編)」(97/12/3)
 ・今日のお仕事「有害鳥獣駆除作業(ニホンカモシカ編)」
 ・職場が変わった! (97/9/3)
 ・また職場が変わった! (98/9/16)




・「木曽」の印象…(ちょっとぼやき)
 「木曽」って、同じ長野県の中でもなんとなく別格扱いって気がします。
上松町風景「どちらから来られましたか?」「木曽からです」「まあ!遠くから大変ですね」「いえ…」私たち木曽の人間は、同じ長野県内のよその地域に行って、必ず何度かはこんな会話をした経験があります。しかし、たとえば長野から松本へ来るのと、木曽から松本へ来るのとは時間的には大差ありません。でも、木曽からだと同じ県内でも「山の中から来た」というイメージがあるのでしょう。
 それにしても、同じ県内、同じ山の中なのになぜこうも別格扱いされなければいけないんでしょうか?他県からみれば、長野県は山国です。言葉は悪いですが「目くそが鼻くそを笑う」という状態のような気がしますが…。まあ、確かに木曽はV字谷の底にへばりつく小さな町や村の集まりなんですが。
(写真は上松町)


・木曽の買い物事情
 木曽には大型のスーパーやディスカウントショップが少なく、たまの休日ともなると、北部の住民は松本市や塩尻市などの大型店に、南部の住民は岐阜県や愛知県の都市へと買い物に出かけています。大型店を何軒か回ると必ず木曽に住む顔見知りに出会います。確かに安いものが買えるし、品数も多くて買い物をする楽しみがあります。
 木曽の商店は品物が少ない、閉店時間が早い、店員の愛想が悪い…etc。こういう批判をよく耳にします。地元を盛り上げなければいけない立場としては寂しい限りですが、商店の皆さんにももう少し努力をしてほしいような気がします。かく言う自分も、大きな買い物はもっぱら町外でしてしまいます…。


・木曽にもコンビニが!
 つい数年前まで、木曽は香川県くらいの広さがあるのに、コンビニが一軒もないんだ。と、威張って(?)いたら、あっというまに国道19号沿いに何軒も出来てしまいました。楢川村に全国規模の大型チェーン加盟の店、日義村、木曽福島町、山口村には中部地方の中堅チェーン加盟の店、上松町には個人の店がそれぞれあります。
 都会では近くにコンビニがあるかないかで地価も変わってくるのだとか…。まあ、木曽の地価は上がらないでしょうけどね。
 店にもよりますが、人口が少ないのに夜遅くでもけっこう人が入っています。やはり生活パターンが変化してきているのでしょうか。


・消防団のこと。
 田舎に在住の男性が義務のように入れられる(?)消防団。私もご多分に漏れず入団しています。現在の階級は分団の部長。わが町のシステムでは分団長、副分団長に次ぐ分団のナンバー3です。ま、別に人望があってやっている訳ではありませんが。(笑)
消防団活動 それにしても、人口が減ってきているのも原因ですが、最近は消防団に入る人が少なくなって困っています。確かに、行事や訓練などで自分の時間や休日がつぶれるし、なにより人間関係がわずらわしいのでしょう。酒ばかり飲んでいるというイメージもあるかもしれません。
 自分も、最初は嫌だと思っていました。でも、とかく交友関係が限られがちな田舎の生活で、全く異なる職場や職業、生い立ちの人たちと行動し交流を持てるのは、自分にとっての良い勉強になります。それに、火事などの「いざ」という時に自分が何もできないのではちょっと恥ずかしいような気がしせんか?
…ということで、
 あなたも、消防団に入りませんか?お問合せは、お近くの市町村役場まで。(笑)


・田舎で救急車を呼ぶと…。
 先日、夕食の後テレビを見ているた母親が急に「めまいがする」と言って倒れてしまいました。
 激しいめまいと頭痛を訴えるので、隣町の総合病院へ電話を掛け、車に乗せて連れて行こうとすると今度は吐き気まで訴え、起き上がることさえできなくなってしまったではありませんか。こりゃまずいと思って、119番に電話をして救急車を呼びました。
 駆け付けた消防署員に症状を話して、担架で救急車に乗せ、父親を付き添わせて自分は自家用車で救急車の後に付いて病院まで行きました。
 血液を採り、CTを撮りましたが、当直が小児科の医師で、「CTを見ても出血もないようだし判断がつけられない。脳外科の先生に連絡をして聞いてみる」との事で、脳外科の医師に連絡をとる間、待合室で父親と二人で2時間ほど待っていました。
 幸い命に別状はなく、一晩だけの入院ですみましたが、その後が大変でした。
 翌日、職場に行くと同僚や上司に「大丈夫だった?」「誰だったの?」と聞かれ、昼休みに買物に行くと商店のパートのおばさんに「お母さん、大丈夫だった?」と聞かます。救急車を呼んだことなんて誰にも話していないのに、もう噂が流れているのです。
 このあたりが田舎の恐ろしさ(?)です。救急車の音の絶えない都会とは違って、同じ町内に救急車が来たというのは大変な「事件」なのです。
 そういえば、以前母親が入院していたとき、たまたま隣の病室の方が亡くなったのですが、どこでどういう風に誤って伝わったのか、私の母親が死んだという話になってしまった事がありました。
 その時は、今回以上に噂が伝わり、朝、職場に行くと、上司が鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして「お前、こんなところに来ていて大丈夫なのか?葬儀は…?」と言うではありませんか。そんな噂が流れているとは知らなかった自分の方がびっくりして「は…?」と言ったまま絶句しまいました。
 その後も1週間ぐらい会う人ごとに「大変だったでしょ?」「ご愁傷様」と言われ、誤解であることを説明するのが大変でした。
 人によっては「噂で1回殺されたのだから、長生きするよ。お母さんは。」と、慰めとも励ましともとれないような言い方をするひともありましたが。(笑)


・パソコン通信とインターネットのこと
 ’96年初頭、流行し始めたインターネットに接続しようと思って、何年かぶりに新調したパソコン。いきなりISDN回線を引いて、さて接続しようと思ったら、申し込んでいたプロバイダの回線がまだ開いていなかったため、まず加入したのがパソコン通信のニフティサーブでした。
 ハンドリングネームを職場内での自分の通称名「はらひろ」としました。以後、通信の世界でもずっとこのハンドルを使っています。
 色々なフォーラムがあり、いくつか入会した中で、一番のお気に入りが、地域フォーラムの一つ「甲信越フォーラム」略して「えふこしね(FKOSHINE)」でした。
 ここではもっぱら、会議室に書き込みをしたり、木曽の田舎ぶりをPRしたり、そしてオフ会の幹事などもしています。たくさんの人と知り合いになれ、交流の輪が広がりました。酒を飲む機会も増えましたが…。(笑)
 肝心のインターネットの方は、最近やっとウエブサイトを作る気になり、この通り手を付けたところです。でも、いざとなると自分の事だけではウエブサイトを作るネタがなく、結局、半分以上は木曽路の案内になってしまった次第です。ま、仕事柄仕方ないかもしれませんが。(笑)
 インターネットだとニュースや天気予報なども見たいときに見られますし、色々な情報がリアルタイムで入手できますから便利ですね。
 木曽のような田舎は、情報や文化などがどうしても遅れがちです。こういう場所に住んでいるからこそ、誰でも、どこにいても、同じ環境で情報などが入手でき、色々な方と知り合う機会のある、パソコン通信やインターネットというメディアは、重要ではないかと思っています。


・そば打ち体験してきました (97/6/16)
 先日、パソコン通信のオフで、開田高原の「そば打ち体験道場」へ行ってそば打ちを体験してきました。
そば打ち2 そばを打つのは初めてで、延ばすところまでは良かったのですが、切る段になって、人によって太さがまちまちになってしまい、きしめんのようなそばや細いそばなど、バラエティに富んだ(?)ものになってしまいま
した。
打ちあがったそばは、その場で茹でてもらい試食することができました。
 見た目はともかく、味は上々で、やっぱりそばは打ちたてに限るというのが全員の一致した意見でした。
こんなに旨いそばが食べられるのなら、道具を揃えて自分でも打ってみようかと思ってしまいました。そば打ち3




 知人の話によると、そばを打つだけの目的なら、そんなに高級な道具を揃える必要はなく、ホームセンターへ行ってこね鉢の代わりに大き目のステンレス製のボール、延し板の代わりはコンパネ(ベニヤ板の厚手のもの)、延し棒の代わりは、階段などに付ける手すり用の丸棒(!)で良いそうです。
 そのうち挑戦してみようかなぁ…。




・ある日の出来事
 ある日の午後、出張のためのJRの切符を買いに、近くの駅まで行きました。窓口では初老の女性が駅員と話しをしていました。その女性の後に並んで、聞くともなしに会話を聞いていました。
 女性「あの〜、〇〇駅(隣の特急が停車する駅)まで行きたいんですけど…。」
 駅員「ああ、3時〇〇分の列車に乗って下さい。」(今は1時頃!)
 女性「…(絶句)。あの…、他に行く方法は?」
 駅員「タクシーならいけますよ。」
 女性「幾らくらいかかりますか?」
 駅員「5千円あれば足りると思いますけど。」
 女性「…(再び絶句)。そっ、そうですか。ありがとうございました。」
 そそくさと窓口を離れた女性に、思わず一言「4千円くらいですよ。」と思わず声をかけてしまいましたが、彼女は聞こえないようでした。
 (駅員さん、もう少し親切にしてあげればいいのに。)と心の中で思いながらも、「成田空港往復、乗車券と特急券、禁煙席でね!」と言って切符を買った後、振り返ると、先ほどの女性が呆然と待合室のベンチに腰を下ろし私を見つめていました。
 「どちらまでお出かけですか?」と思わず声をかけると、
 「あの…、千葉までなんですけど…、どうやって帰ろうかと…、電車もあまりないし…。」
 「そうですか、隣の駅までバスがあるはずですから、ちょっとお待ち下さい。」
自分はそう言い残して、駅を出て近くのバス停まで走り、次のバスの時刻を確認すると、その女性の所に戻り、「もう15分すると、バスが出ますから、それに乗って隣の駅まで行って、〇時〇分の特急に乗って、〇〇まで行って乗り換えれば、午後6時過ぎには新宿まで行けます。ここで3時まで電車を待ってると、帰りは夜中になってしまいますよ。」と切符売り場の窓口から持ってきた時刻表を見せながら教えてあげました。
 その初老の女性は、私に礼を言いながら、この年になって初めて一人旅をしているという事、とても心細くて困っていた事、「成田」という言葉を聞いて思わず私を見つめてしまった事、こんなに親切にしてもらってありがたかったというような事を切々と語ってくれました。
 私は思わず口から出そうになった言葉を飲み込みました。「いいえ、仕事ですから。」普段、観光客の世話をする仕事なので、お礼を言われると、ついこの言葉が口をついて出てしまうのです。
 今は昼休み。知らん顔すればそれで済んだのかもしれません。でも、見捨てておく事はできませんでした。
 観光客をもてなす、今の仕事をやっているうちに、こういう事が「普通」になっていました。以前の自分なら、知らん顔をしていたのでしょうか…。


・今日のお仕事「ヘリコプターからの空中撮影」

 今日の仕事は「空撮」。
 アルプスの山小屋に荷物を空輸するためチャーターしたヘリが、山の天候の回復を待って待機している間の時間を使って、地元の施設や施設の建設予定地などを、上空から空中撮影するのだ。
 専門の業者に撮影を依頼すると非常に高額になるので、ヘリが天候の回復を待っている間の待機時間を使って、格安に空中写真を撮ろうというわけである。
 実は、中央アルプスの各山小屋へのヘリの荷揚げのお世話も仕事の一つであり、今回の空撮はあくまでもその片手間の仕事なのだ。

 荷揚げ用のフランス製のヘリ、アエロスパシャル315“ラマ”の後部座席右側のドアを外し、腰に転落防止のハーネス(安全ベルト)を付け、ヘリに乗り込んで機内のフックにつなぐ。
 パイロットは前部右側の操縦席、私はその後ろの席である。
 隣の席には助手として職場の相棒が、予備のカメラとフィルムを持って乗り込んでいる。
 ローターの回転があがり、ヘリポートからゆっくりとヘリが離陸するが、その浮揚感に一瞬昔の事を思い出し(死にかけた話参照)、背筋が凍り付くが、そんな感覚はすぐどこかに飛んでいってしまう。
 ヘリに乗っている僅かな時間内に、与えられた空中撮影という仕事をしなければという高揚感が自分を支配している。

ヘリコプター 次の瞬間、機体は大きく傾き、弧を描きながらエンジン全開でぐいぐいと大空に上り高度を稼ぎ始める。ここ2日ばかり天候の回復待ちでずっと地上待機だったパイロットも、ストレスが溜っていたのだろう。その鬱憤を晴らすようなダイナミックな操縦だ。

 高度が上がり、目的地上空まで飛来したところで撮影開始。
 座席から立ち上がりヘリから身を乗り出すと、右足でヘリの着陸脚のステップに片足立ちとなり、左足を前部のパイロットシートの下に突っ込んでつま先をひっかける。左足を機内に残しただけで空中にほぼ全身を乗り出した格好だ。
 ヘリが右旋回でバンクすると、まるで空中に放り出された感覚だが、不思議と恐怖感は感じない。両手はカメラを構えているため、どこにも捕まっていないのだが。
 頭の上でヘリのローターが回転しているが、キャビンのあるローターの根元付近は上からの風圧はほとんどない。しかし、風を切るローターと、それを駆動しているタービンエンジンの騒音が激しい。今回はパイロットと話をするインカムを付けていないため、大声で叫んで撮影したい場所を指示するが、目の前にいるパイロットにすらあまり声が届かない。

 住み慣れた町の上空をあちこち飛びながら、依頼のあった場所を次々と撮影していく。
 撮影済みのカメラは隣の席の相棒の手に渡し、フィルムの交換をやってもらう。その間は代わりに手渡された別のカメラのシャッターを押しまくる。
 ヘリのチャーター料は高い。限られた時間にできるだけシャッターを押すのだ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる…である。

 最後の撮影場所の上空。フィルムの終わったカメラを相棒に渡すと、もう入れ替えるフィルムがないという。撮影終了である。
 ヘリポートへの帰途、町の上空を再び通過。仕事を終えた安堵感から、景色を楽しむ余裕ができる。鳥の視線で見ると、自分の住む町がいかにちっぽけであるかが良くわかる。

 高度を落とし、ヘリポートへの着陸体制に入る。離陸の時はダイナミックな操縦だったパイロットも、さすがに着陸は慎重である。
 空き地に臨時に設定したヘリポートに砂ぼこりを巻き上げながら無事着陸。

 「はらひろさん、ノッてましたねぇ。あそこまで身を乗り出して平気な人はあまりいませんよ。」エンジンを切ったパイロットが振り返って笑いながら言った。

(写真は乗用のアエロスパシャル350“エキュレイユ”)


・今日のお仕事「除雪作業」
 昨日は大雪。昨夜の職場からの連絡で、今日は早朝から道路の除雪作業だ。
 午前4時30分、あたりは、雪明かりでほんのりと明るい。乗り込む除雪車両は、2トンの4WDダンプカーを改造し、前部にスノープラウという除雪用の金属板と、後部の荷台に融雪剤散布機を取り付けたものだ。
 除雪車両の上に降り積もった雪を払い除け、暖気のためにエンジンをかける。相棒の後輩と、20Kg入りの融雪剤入りの袋を荷台に担ぎ上げ、開封して散布機に投入する。20袋=400Kg(腰にくる)。準備完了。「さっ、出動するか」
「はらひろさん運転お願いします。」こいつめ、楽な助手席側をやるつもりだ、ま、いいだろうと運転席に乗り込む。
 いよいよ除雪作業に出動、幹線の広い道路は、土木業者などの大型機械で除雪するので、我々は山間地の集落に通じる細い道路が担当だ。
除雪状況 平地に比べ、やはり標高の高い山間地は雪が多い。それに、今日の雪は湿っていて少し重い。雪の重さに負けそうになり、振られる車体を抑えながら、山間部の集落から集落へ、除雪車両を運転していく。
 運転手は、雪で白一色となり道なのか畑なのか分からなくなっているような地形の所を勘で運転したり、雪に埋もれた側溝に車輪を落さないように注意しながら車両を操ったり、時には効率良く除雪するために危険な右側走行をしたりとなかなか神経を使う疲れる役目だ。
 助手席の作業は、スノープラウと融雪剤散布機の操作だ。リモコンでスノープラウを左右に振って、雪をかく方向を変え、民家の入口などに雪を残さないように除雪しつつ、凍結の恐れがある日陰などは散布機のリモコンを操作して融雪剤を撒きながら作業を進めていく。
 闇の中、ライトに照らされる白い雪面には、野うさぎやリスの足跡が点々と残され、車体前方のスノープラウが雪をかき分けその痕跡を消していく。
 黙々と除雪車両を走らせ、いくつかの集落を通り過ぎる頃、白々と夜が明けてきた…。
 一番積雪の多い集落に来た。膝まで埋まる雪だ。急坂の登りにつづら折れのカーブが続く道の行き止まりに、3軒の民家がある。除雪をしないと陸の孤島となってしまう集落だ。とりあえずここで今回の出動の除雪作業は終了する。
 雪と急坂と急カーブ、悪条件の中で空転するタイヤ、横滑りする車体を立て直しながら、やっと民家のある所まで除雪完了。
 車をUターンしていると、明かりのついていた民家からおばあさんが出てきて、雪を踏みしめて近づいてくる。「ご苦労さん。あっためといたけど、冷めちゃった」窓越しに差し出された白いビニール袋の中には缶コーヒーが。「ありがとう」受け取ると、温めておいてくれたらしい缶コーヒーは、もう冷たくなっていた。
 作業終了、帰途につく。夜が明け、あたりはすっかり明るくなっていた。
(写真は、ミニホイルローダでの除雪風景)


 ・今日のお仕事、「有害鳥獣駆除作業(ニホンザル編)」

 今日は、人里に降りてきて農作物を荒らしたりして悪さをするニホンザルの駆除作業である。
 正確に言うと、既に捕獲してある猿を学術研究用として大学の医学部や歯科大学に引き渡す作業である。
 猿が出没する集落の近くに、落とし扉を付けた10メートル四方くらいの大きな檻を造り、その中に大豆を撒いて猿の群れをおびき寄せ、群れが入った時点で扉を落とすという罠を作ってあるのだが、数日前にその罠に一つの群れが入り一網打尽にしてあるのだ。
 実際の作業は自ら猿の群れの居る檻の中に入り、大きなタモ網で1頭ずつ捕まえては麻酔薬を打ち、ぐったりした猿を麻袋に押し込んで車に積み込むというものだ。

 檻を仕掛けた集落に大学で用意した輸送車と共に車で乗り付ける。
 畑の中を歩き檻に近づいていくと、今回は30頭を超える数の猿が入っている。既に捕獲されて数日たっているので、猿たちの汚物の異臭が漂ってくる。
 檻の側の竹藪には、危うく難を逃れた同じ群れだったと思われる猿が数頭いる気配がする。
 タモ網と麻袋を持って落とし扉を少し開き、麻酔の注射を持った大学の人と檻の中へ素早く入る。
 猿たちはすっかりおびえて、檻の隅のほうに折り重なるように体を寄せ合いちぢこまって震えている。
 網を持って近づいていくと、大人の猿が威嚇の声をあげるが構わず近づくと、突然猿たちはちりじりになり一斉に檻の中を逃げ回りはじめる。
猿の捕獲風景 まず、大人の猿に狙いを定め、逃げ場を失い金網にしがみついているものから網をかぶせ、その場に押さえ付けると、すかさず網の目のすき間から大学の人が麻酔薬を注射する。
 かぶせていた網をどけると、猿はあわててすで逃げ出し、素早く金網によじ登るが、すぐにふらふらになってきて、そのうちどたりと地面に落ちて動けなくってしまう。
 それを麻袋に押し込んでいくのだが、ぐったりした猿は体は小さいのに、ずっしりと重い。
 逃げ回る猿を追いかけ回し、一頭一頭捕まえては麻酔を打ってゆく。
 逃げるうちに激しく檻の金網などにぶつかり、けがをして血だらけになってゆく猿もいる。
 膨らんだ麻袋が増えていき、逃げ回る猿はだんだん減っていく。最後に残った1頭の子猿は恐怖のあまり動けなくなっている。

 猿に銃を向けると、体の前で手を合わせて命請いをするというが、なるほど、恐怖で体が硬直してしまった猿は、人間が寒さに震えている時と同じように両手を体の前で握りしめうずくまっている。この姿が、命請いをしているように見えたのだろう。
 もう網を使わず、直接手で首根っこを押さえて捕まえると、我に返った子猿は、悲痛な声をあげて泣き叫びながら捕まえた手を激しく引っ掻くが、作業用の厚手のゴム手袋をしているため、痛くはない。
 泣き叫び続ける子猿を暴れないように抱え、麻酔薬を注射してもらう。腕の中で子猿の声がだんだん細くなり、やがてぐったりしていく…。

 全ての猿に麻酔を打ち麻袋に押し込むと、檻の扉を開け、それを担いで輸送車に積んだ檻に放り込む。
 積み込んだ麻袋の山から猿たちの寝息が聞こえる。
 これから、この猿たちが実験動物としてどんな目に遭うのかと思うと、胸が痛む。
 人里に下りて農作物を荒らさなければ、こんな事にはならなかったのに…。
 山にも食べ物がないのだろうか。それとも、人間の作った物を横取りするという「楽な生き方」を覚えてしまっただけなのだろうか。

 作業終了。輸送車と共に車でその場を後にする。

 ふと振り返ると、竹藪の中にいたらしい猿が檻の傍らに出てきて、人間に捕まってしまって連れ去られる仲間を見送るようにこちらを見ていた。
(写真は猿の捕獲の実際の風景)


・今日のお仕事「有害鳥獣駆除作業(ニホンカモシカ編)」
 今日の仕事は有害鳥獣駆除作業のひとつ、日本カモシカの捕獲作業である。
 早朝から、捕獲作業に従事する地元の猟友会のハンターたちの乗る、ごついRVの集団の後について、若い相棒と4輪駆動の軽トラックに乗り込み、雪の積もる林道を走り山に入る。
日本カモシカ 日本カモシカは天然記念物に指定されているが、長年に渡る保護政策で数が増え過ぎ、植林した苗木などを食い荒らす被害が出ているとの理由で、10数年前から、個体数を調整するためとの名目で銃により射殺しているのである。
 許可を受けて、地元のハンターたちにカモシカを射殺してもらい、射殺したカモシカの死骸を回収するのが今回の我々の役割だ。
 今日の作業地域に入った。さっそくカモシカの足跡を見つけると、ハンターたちが、犬を連れて車を降り、足跡を追って山に分け入ってゆく。
 しばらくすると、無線機からハンターたちの声が聞こえてくる。「はぁはぁ…、ど、どうだ?」「いない、も、もうあの谷に入ってるかも…しれん。」「じゃあ、上から、は…入って追い落すか」雪の山中を歩いているため、荒い息づかいの中で会話が交わされる。
 「ターン」銃声が山にこだまする。「勢子鉄砲(せこでっぽう)」と呼ばれる、おどしのために撃つ空砲の音だ。カモシカを見つけたらしい。「行ったぞ!そっちだ!」「待て待て!」「俺が横に廻る!」「正面っ!いるっ!」にわかに無線の交信が頻繁になり緊張感が漂う。
 「ターン」「ターン」…遠くで銃声がした。「止まったかー?」「止まったー」命中したという隠語だ。とたんに無線の声からも緊張感が薄れる。
 「おーい!引きに来いよー」無線機から我々を呼ぶ声がする。回収しに来いという意味だ。「じゃ、行こうか」相棒に声を掛けると、軽トラを射殺した場所の近くまで走らせる。
 相棒と軽トラを降り、雪を踏み締めて斜面を登って行く。防寒着にアノラック、スパイク付きの長靴、防寒手袋と完全装備だ。
 しばらく歩くと、射殺現場に着いた。弾はカモシカの首に命中し、辺りの雪は赤い血で染まっている。いつもながら酷い光景だ。最初の頃は正視できなかのだが…。
 ロープをカモシカの首に縛り付けると、相棒とそのロープを引っ張り、雪の上をカモシカの死骸を引きずって運ぶ。白い雪の上に、血の跡が何本かの筋になって残っていく。ロープが重く肩に食い込む。気持ちも重い…。
 軽トラの所まで引きずって行くと、写真を撮り、巻尺で大きさを計測し、荷台に放り上げる。
 こんな作業を午後まで繰り返し、射殺した数頭を載せて、別の山に入っていたもう1班と合流する。
 夕方が近づく、一番嫌な作業、カモシカの死骸の解体だ…。
 ビニールシートを敷いた上にカモシカの死骸を下ろし、猟友会のメンバーと共にナイフや包丁を手に、仰向けにして解体にかかる。正中線に沿って毛皮に切れ目を入れ、肉と毛皮を剥がしていく。さっき死んだばかりのカモシカからは湯気が上がり、肉はほんのりと暖かい。両手が血に染まっていく…。
 生殖器を切り取り、ホルマリン入りの袋に入れる。個体の研究のためだ。解体が終わると、食べられる部分の肉は参加者で分け、毛皮はなめすために業者へ送る。分け前をくれると言うが断る。
 軽トラやシート、解体道具に付いた血のりを洗い落し、車庫に納め、本日の作業終了。体の芯まで血の臭いが染み付いているような気がする。…仕事とはいえ、辛い。
 すっかり暗くなった帰り道の途中、わずかに明るさの残った空に、シルエットとなって浮かびあがった山へ向かって、思わず手を合わせた。
(写真はニホンカモシカ)


・職場が変わった!(97/9/3)

 ’97年6月から、6年と2カ月勤務した観光関係の職場より、児童福祉・青少年健全育成担当の職場に異動になりました。
 新しい職場では、保育園の園児をバスで送迎したり、用務員さんのように園舎の修繕をしたり、時には園児と一緒に遊んだり…。
保育園遠足 また、青少年健全育成という事で、少年相撲大会を開いたり、ポルノビデオの自動販売機の撤去を地主にお願いしたり、街の商店をパトロールしたりもします。
 それにしても、子育てって大変ですね。自分は未だに独身なので、その苦労が解りませんでしたが、保育園で園児の母親などを見ているとそう思います。特に、独身の頃を知っている人が、逞しく変貌していると、ちょっとショックを受けると同時に、母は強し!と感じますね。(笑)

 このウエブサイトも、仕事柄木曽をPRしたいと思って作ったものなので、個人のページにもかかわらず、こんな観光案内のようなものになってしまったのです。
 仕事がそういった方面でなくなると、やっぱり、熱意もちょっぴり冷めてしまって、更新もおろそかになってしまいました。
 でも、せっかく作ったページなので、このまま木曽の紹介を、個人の見方でしていこうかなぁと思っています。


・また職場が変わった!(98.9.16)

 ’98年4月、前の職場を変わって10ヶ月しか経っていないのに、また職場が変わりました。
 今度は、教育関係の職場です。
 今までの職場とは違う部分が多く、戸惑うことばかりです。
 一番難しいのは、人間関係でしょうか…。(苦笑)
 別のページに載せている「円形脱毛症」になったのも、ここらへんが原因のようです。(爆)




   はらひろモードとは…
   ネット上の友人「みん」さんが名付けてくれたもので、はらひろのお節介なところや、積極的に見られるのに実は消極的な行動力、明るく振る舞いながら実は根暗な性格、女性と子供に弱い点、人の言うことをありのままに受け入れてしまう騙されやすい馬鹿正直な点など、はらひろの個性を総称したもの…。(かもしれない…と思ふ。(笑))
  いわゆる「****」の事らしい。(何のこっちゃ?)
Thank you! 「みん」さん!