木曽節・木曽踊り




木曽踊り 木曽踊りという言葉が記録に現れてくるのは、室町時代の終わり頃と言われています。
 その頃の狂言小唄の中に「(略)−七月がおじゃればきそ踊始めて、ふりよう踊ろよ、兎角踊らにゃ気がうかぬ」と出てくるのがはじめで、今から400年も昔、すでに盆踊りとして木曽踊りが京都で踊られていたことがわかります。
 また、徳川三大将軍家光の時代に江戸の二の丸吹上御殿において出演されたという記録もあります。
 しかし、これらの記録に残されている木曽踊りというのは、当時木曽谷一帯の村々で歌い踊られていた、各種とりどりの民謡を総称していたもので、中山道を旅する人や、木曽の山へ諸国から入ってきた多くの杣(そま)・日雇(ひよう)と呼ばれる山林労務者たちによって、木曽で覚えた木曽踊りとして諸国に伝搬され、広く多くの人々から親しまれてきたものだと思われます。
 これらの数々の優れた木曽民謡のうちで、特に格調高く全国的に有名になったのが現在の節回しで歌い踊られる木曽節・木曽踊りです。
 歌詞が、地元の「高い山」などの祝い歌と全く同じものが多いことなどからも、木曽節が一つのものではなかった事が想像されます。

 木曽節の中に出てくる「中乗りさん」の由来については、木曽川を下る木材の輸送説からくる筏流しの中乗り説と、御嶽山信仰による御嶽行者の中のり(中座)説と、交通機関としての馬による三宝荒神の仲のり説などの諸説があります。


 木曽節  … 歌 詞 − 木曽節の歌詞の一部(音声あり)
 木曽踊り … 踊り方 − 写真付き解説
 木曽踊り … 踊り方 − 木曽踊り動画 注:MPGムービー(約1.4M)なのでとても重いです

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